果てしなき旅 / 2003年10月9日(木)〜18日(土)
【ネフド砂漠&ヒジャズ鉄道】
この旅行は、はっきり言って間違ってた。
何度か沙漠に出かけたし、車のことに関して夫はプロ並みとはいえ、車が悪い!
ジープのチェロキーなんていう都市生活向けの四駆で、このアラビア半島の沙漠を横断しようなんて思うのが間違っている。
私は最初からそう思っていたけど、私がイヤだと言って取りやめる連中でもなし。
結局のところ、ネフド沙漠のほとんどをけん引されて横断した。
ネフド砂漠へ行ったことのある日本人もうるとら少ないだろうけど、けん引されて横断した日本人なんて前代未聞だろうねえ…。
91年型のチェロキーは、日本へ輸入された最後の左ハンドルのチェロキーとかで、歴代のモデルでは一番の問題児だったのだ。皮のシートでオートマチック、かなりラグジェリアスな感じはするが、かえってそれがシティーカーというのを証明している。
オイル漏れで直そうとしたら、パイプがイカレて大出血(オイル)!。
おまけに沙漠の真ん中でタイヤがパンク、2度もだ。手持ちは2本。
だからもう換えのタイヤはない。仕方なく、リーダーがタイマまで買いに行ってくれることに。
私たちはキャンプして翌朝彼らが新しいタイヤを持ち帰ってくれるのを待つのみ。
ココロ細いこと最大級。一体誰が沙漠横断なんか計画したのだ!
ドバイあたりの旅行代理店でアレンジしてもらって、エミレッツの沙漠で遊んでいた方がうんと気が楽なのに…。
今だから言えるけど、やっぱり車が悪い! 絶対に車が悪いのだ。
こんな過酷な条件で走るためには、ずぇったぁいに日本車が必要。
見なさい、遊牧民のベドウインだってトヨタに乗っているじゃあないの。
信頼できる車でなくては、命に関わるのだ。
チェロキーなんかでは絶対にダメなのだ。
* *
翌朝、食事を終えた頃にベドウインのオヤジさんがどこからともなくすーっとやって来て、何を言うのかと思ったら、どーやらタイマという一番近い町までタイヤを買いに連れて行ってやるということらしい。
涙ちょちょぎれそうな嬉しいオファーだ…。
と、そこへ昨日別れた友人夫婦が到着。
そのオヤジさん、タイマまでの近道を教えてやるというんで付いていったら、
途中でおまわりさんらしき軍団に止められてエスコートされてことに。
それはいいとして、連れて行かれた駐在所みたいな建物では、終わりのないお茶のサービスと、同じ質問が待っていたのだった。
「で、あんたさんがた、何しに来なすったんで?」
「で、あんたらのパキスタン人運転手はどこだい?」
他にも、何人だ?とか、どこに住んでいる?、名前は何ていうんだ?などの質問が追加されるのだけれど、つまるところ、『休暇』で『砂漠』に来るなんていうのを信じてもらえない。
アラビア語に通じている友人の奥方が通訳してくれているのだが、このオヤジさん曰く、
「休暇っていうのは、リヤドとかジェッダとか大都会にあるエアコンの効いたスーク(ショッピングセンター)で買い物して過ごすもんだ」。
あまりの堂々巡りに、しまいには彼女も口をつぐんでしまった。
「拳銃や刀を持っていないか?」なんて質問が出た時、やっぱりテロには敏感なんだ、と思ったね。こんな砂漠の真ん中で、外国人4人が何しているのかと思われたって仕方がない。
そのうち警察の大ボスらしきご仁が、イカーマ(身分証明書)は没収するとか言い出したので、慌てふためいて彼らを振り切り、逃げるように立ち去るのだった。
タイマに着いたら着いたで、警察がもう私たちのことを知っている! 無線やケイタイ電話の技術が私たちを追いかける…。
結局、たまたまプリンスだかプリンセスだかが通るというのでお出ましになっていた英語の堪能な若きキャプテンに全てを丸くおさめてもらったのだった(彼の役職名は何なのだろう? 偉いというのだけは分かるけど)。
それにしても、怖かった!
* *
そんなこんなで、もうあきらめてリヤドに帰るかと思ったのに、タイマで車を修理して計画続行。
暗い道をアルウラまで2時間かけて走った。
幸い翌日は周辺の観光の日で、舗装道路のみの走行。良かった…。
観光先は、ナバティアンの遺跡、ヒジャズ鉄道のワークショップ、アルウラの旧市街。
面白かった! このためにだけ来ても良かったのに、何でわざわざ遠回りしてネフド沙漠なんかを横断したのだろう…と、どついてやりたくなる。
遺跡を造ったナバティアンという人たちはイスラム前の民族だから、サウジ人は嫌っているらしい。
遺跡近辺には観光客もおらず、風の音だけが聞こえる。あー、なんてステキなんだろう!
ヒジャズ鉄道も良い感じ。TE・ローレンスが吹き飛ばしたという鉄道路線だ。
ダマスカスからメディーナまでを繋ぐ巡礼路線。今でも吹き飛ばされた時のまま線路も放りっぱなし、駅舎も見捨てられている。それがまた味わいがあって良いのだなあ。
でも、このヒジャズの線路跡を走っていて、またしても車が故障。
そしてまたまた、けん引される羽目に。
今度はキャンプはせず、夜半過ぎまでかかって目的地タブックの街まで到着した。
それというのも、この線路脇は軍の演習場になっているから、いつ銃弾が飛んで来てもおかしくない。当然キャンプは禁止されている訳だが、ベドウインのオヤジさんたちにうるさく言われるのもたまらないということらしい。泊めてもらえたら嬉しいな、なんて思っているのは私だけか。
雷鳴轟き、稲妻が走る、雨は降り出し、砂にスタック、そしてまたパンク。
チェロキーにハンコックタイヤなんか履かせるのは誰だ?
これでパンク3回目だ。真夜中に砂漠の真ん中でタイヤ交換するバカは、私たちくらいのものだ…。
どこまでも私たちを痛めつける憎っくき韓国製タイヤだぜ。
そしてとうとうその夜、私たちはリーダーに見捨てられた。
リヤドに戻ることにしたのはよしとしても、翌日は金曜で修理工場も輸送会社も休み。
ま、慌てても仕方がないし、一日ゆっくり寝て傷ついたココロを癒すのにもちょうど良かったかもしれないな。心底ほっとしたよ。
週明けの土曜、車は修理に出さず直接リヤドまで運んでもらうことになった。
私たちは飛行機でひとっ飛び。
機内から沙漠を見下ろして、何でわざわざ車で横断するんだろう…とバカバカしくなる。
これに懲りてオフロードはやめてくれ、と願ったのだった。
この旅行は、はっきり言って間違ってた。
何度か沙漠に出かけたし、車のことに関して夫はプロ並みとはいえ、車が悪い!
ジープのチェロキーなんていう都市生活向けの四駆で、このアラビア半島の沙漠を横断しようなんて思うのが間違っている。
私は最初からそう思っていたけど、私がイヤだと言って取りやめる連中でもなし。
結局のところ、ネフド沙漠のほとんどをけん引されて横断した。
ネフド砂漠へ行ったことのある日本人もうるとら少ないだろうけど、けん引されて横断した日本人なんて前代未聞だろうねえ…。
91年型のチェロキーは、日本へ輸入された最後の左ハンドルのチェロキーとかで、歴代のモデルでは一番の問題児だったのだ。皮のシートでオートマチック、かなりラグジェリアスな感じはするが、かえってそれがシティーカーというのを証明している。
オイル漏れで直そうとしたら、パイプがイカレて大出血(オイル)!。
おまけに沙漠の真ん中でタイヤがパンク、2度もだ。手持ちは2本。
だからもう換えのタイヤはない。仕方なく、リーダーがタイマまで買いに行ってくれることに。
私たちはキャンプして翌朝彼らが新しいタイヤを持ち帰ってくれるのを待つのみ。
ココロ細いこと最大級。一体誰が沙漠横断なんか計画したのだ!
ドバイあたりの旅行代理店でアレンジしてもらって、エミレッツの沙漠で遊んでいた方がうんと気が楽なのに…。
今だから言えるけど、やっぱり車が悪い! 絶対に車が悪いのだ。
こんな過酷な条件で走るためには、ずぇったぁいに日本車が必要。
見なさい、遊牧民のベドウインだってトヨタに乗っているじゃあないの。
信頼できる車でなくては、命に関わるのだ。
チェロキーなんかでは絶対にダメなのだ。
* *
翌朝、食事を終えた頃にベドウインのオヤジさんがどこからともなくすーっとやって来て、何を言うのかと思ったら、どーやらタイマという一番近い町までタイヤを買いに連れて行ってやるということらしい。
涙ちょちょぎれそうな嬉しいオファーだ…。
と、そこへ昨日別れた友人夫婦が到着。
そのオヤジさん、タイマまでの近道を教えてやるというんで付いていったら、
途中でおまわりさんらしき軍団に止められてエスコートされてことに。
それはいいとして、連れて行かれた駐在所みたいな建物では、終わりのないお茶のサービスと、同じ質問が待っていたのだった。
「で、あんたさんがた、何しに来なすったんで?」
「で、あんたらのパキスタン人運転手はどこだい?」
他にも、何人だ?とか、どこに住んでいる?、名前は何ていうんだ?などの質問が追加されるのだけれど、つまるところ、『休暇』で『砂漠』に来るなんていうのを信じてもらえない。
アラビア語に通じている友人の奥方が通訳してくれているのだが、このオヤジさん曰く、
「休暇っていうのは、リヤドとかジェッダとか大都会にあるエアコンの効いたスーク(ショッピングセンター)で買い物して過ごすもんだ」。
あまりの堂々巡りに、しまいには彼女も口をつぐんでしまった。
「拳銃や刀を持っていないか?」なんて質問が出た時、やっぱりテロには敏感なんだ、と思ったね。こんな砂漠の真ん中で、外国人4人が何しているのかと思われたって仕方がない。
そのうち警察の大ボスらしきご仁が、イカーマ(身分証明書)は没収するとか言い出したので、慌てふためいて彼らを振り切り、逃げるように立ち去るのだった。
タイマに着いたら着いたで、警察がもう私たちのことを知っている! 無線やケイタイ電話の技術が私たちを追いかける…。
結局、たまたまプリンスだかプリンセスだかが通るというのでお出ましになっていた英語の堪能な若きキャプテンに全てを丸くおさめてもらったのだった(彼の役職名は何なのだろう? 偉いというのだけは分かるけど)。
それにしても、怖かった!
* *
そんなこんなで、もうあきらめてリヤドに帰るかと思ったのに、タイマで車を修理して計画続行。
暗い道をアルウラまで2時間かけて走った。
幸い翌日は周辺の観光の日で、舗装道路のみの走行。良かった…。
観光先は、ナバティアンの遺跡、ヒジャズ鉄道のワークショップ、アルウラの旧市街。
面白かった! このためにだけ来ても良かったのに、何でわざわざ遠回りしてネフド沙漠なんかを横断したのだろう…と、どついてやりたくなる。
遺跡を造ったナバティアンという人たちはイスラム前の民族だから、サウジ人は嫌っているらしい。
遺跡近辺には観光客もおらず、風の音だけが聞こえる。あー、なんてステキなんだろう!
ヒジャズ鉄道も良い感じ。TE・ローレンスが吹き飛ばしたという鉄道路線だ。
ダマスカスからメディーナまでを繋ぐ巡礼路線。今でも吹き飛ばされた時のまま線路も放りっぱなし、駅舎も見捨てられている。それがまた味わいがあって良いのだなあ。
でも、このヒジャズの線路跡を走っていて、またしても車が故障。
そしてまたまた、けん引される羽目に。
今度はキャンプはせず、夜半過ぎまでかかって目的地タブックの街まで到着した。
それというのも、この線路脇は軍の演習場になっているから、いつ銃弾が飛んで来てもおかしくない。当然キャンプは禁止されている訳だが、ベドウインのオヤジさんたちにうるさく言われるのもたまらないということらしい。泊めてもらえたら嬉しいな、なんて思っているのは私だけか。
雷鳴轟き、稲妻が走る、雨は降り出し、砂にスタック、そしてまたパンク。
チェロキーにハンコックタイヤなんか履かせるのは誰だ?
これでパンク3回目だ。真夜中に砂漠の真ん中でタイヤ交換するバカは、私たちくらいのものだ…。
どこまでも私たちを痛めつける憎っくき韓国製タイヤだぜ。
そしてとうとうその夜、私たちはリーダーに見捨てられた。
リヤドに戻ることにしたのはよしとしても、翌日は金曜で修理工場も輸送会社も休み。
ま、慌てても仕方がないし、一日ゆっくり寝て傷ついたココロを癒すのにもちょうど良かったかもしれないな。心底ほっとしたよ。
週明けの土曜、車は修理に出さず直接リヤドまで運んでもらうことになった。
私たちは飛行機でひとっ飛び。
機内から沙漠を見下ろして、何でわざわざ車で横断するんだろう…とバカバカしくなる。
これに懲りてオフロードはやめてくれ、と願ったのだった。
by maadienne
| 2005-01-17 21:43
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